産業ケアマネ道①始まり

仕事と介護の両立支援『産業ケアマネ』として活動するようになり10ヶ月程経ちました。

お陰様で社内社外を含め多くの方にお力添えを頂き、現在、複数の企業様と両立支援に取り組みをさせて頂いております。

ここまでの活動を複数回に渡り振り返ってみようと思います。

始まりはミッション

前社長であり、ケアマネジャーを紡ぐ会の名誉会長でもある宮﨑さんからご自宅に呼びだされ、唐突に「産業ケアマネやってみない?」と言われました。

当時宮﨑さんは既に闘病中で、自宅にいることが多く、ベットにいながらもご自身のやってきたことをそれぞれ必要なタイミングで必要な人に託している様な状況だったと思います。

私にとって、介護屋みらいに入職したことは運命的であり、ケアマネど新人、かつ歳上だった私に江戸川店でケアマネのいろは、そして独自の「みらい流」を1から学ばせてくれた宮﨑さんには、ただならぬ恩があり、ミッションに対してラジャー以外、返答する選択肢はありませんでした。

試験✖️2➕養成講座

宮﨑さんに「はい!やります!」と宣言したとて、産業ケアマネにすぐなれるはずもなく、飛び級もないので、地道に産業ケアマネ3級→2級の試験をどうにかクリアしました。宮﨑さんには、ちょうど2級の合格までは報告できたと記憶しています。

1級の要件は、養成講座受講と、企業との契約が必要なこともあり、2級試験後すぐに養成講座に申し込みをしました。ここでは、相談者として、実務に必要なマインドから、チラシ作り、面談や営業のロープレ、そして10分のプレゼンテーションを行いましたが、いままでやったこともない領域であり、ましてPC操作も最低限のことしかできない私には、まずいろいろなツールに慣れることだけで精一杯の状況でした。

ただ、ここで薄々気がつきはじめたというか、思い出したことがあり、、できないこと、苦手なこと、逃げてきたことは、その時はどうにか凌げても、またいつかその課題や壁は自分にはだかるということ。

上に立つな、前に立て!

もうすぐ50歳。始めてのこと、久しぶりのチャレンジは、なかなかヘビーではありましたが、やると決めたからには、逃げずに、ひたすら前を向くことだけは意識しました。

養成講座のラストに10分プレゼンを行い、わたしはここに行き着く過程で、もうこの先真っ直ぐいくしかない、と覚悟が決まった気がします。

自分以上のことはできないけれど、新しいことにチャレンジするチカラだけは止めない様に。ケアマネ業務を行いながらの挑戦になるので、社内の理解はとても心強く感謝しています。

ふと、自分に不安になるときは、宮﨑さんが私に送ってくれた言葉。「上に立つな。前に立て」

ここまで、まだまだ自分との戦いをしつつ、両立支援に向けて一歩一歩、積み重ねをしていた様な状況です。

この後、企業との契約締結に至る道に関してはまた次回に♪

長文お付き合いありがとうございました😊