ツキイチゆるゆるコラムVol.33「最後のブログ」

4月29日20:44 私は空へと旅立ちました。

最期の言葉です。

令和5年3月に大腸がんが見つかりました。

見つかってすぐに、全身に転移している事が判
明、まさに体中が癌だらけ・・・肝臓、肺、リンパへの転移・・・
この時は、船橋医療センターさんが主治医になってくださったのですが、まぁ、セカンドオピニオンもあった方がより安心だと思い、自費で見て頂いたら、余命 1 年、治療をしなければ、半年と宣告をうけました。

がぁぁぁん♡

そこの先生、「肝臓のがんは、派手ですねぇ」って♡
おもしろかった♡
既に、違うブログで書いていますが、がん治療をすると、体質的に非常に強い副作用が出てしまう。

副作用が割と無いと言われて受けた放射線治療ですら、10 日間くらい食事も摂れなくなって、寝たきりとまではいかないですが、ベッドとトイレとお風呂にしか行けず、全く外にも行けなくなってしまった時期があった。

もちろん抗がん剤治療はそれ以上に、意識レベルまで低下して、自分が自分じゃなくなってしまう時期もありました。
こりゃぁ、がんと闘ってんのか、がん治療と闘ってんのか、わかんねぇなぁって事になりました。
どうせこのまま治療したって、持って 2 年、治療しなければ、半年の命の選択を迫られたわけです。

まぁ自分が自分じゃない状態で 2 年間生きることの意味が見いだせなかったので、自分が自分でいれるために、治療をしないで半年間生きることに即決でした。
そこからの自分の行動は、自分でいうのもなんですが、最後の最後まで、自分らしくやり切ったと思っています。
今までの人生を振り返ると、みんなの愛情に包まれた非常に幸せな人生だったと感じていますし、実際にそうだったと実感をする人生最後の数か月でした。

みんなに貰った愛を最後全力でお返しする時が来た。

そう、令和5年12月末からは、下肢は完全にマヒして触れている感覚すら消え失せて、令和6年1月の中旬には、自力での排泄が出来ない状態にまでなりました。
ですから、自己導尿と摘便などでの対応をすることになり、悔しいやら、情けないやら、自尊心が消え失せていくやら難とも表現がしがたい状態となりました。
さらに、入浴介助に至っては自費でわがままを通した形となったのですが、介護保険は利用せずに、自宅の風呂に3人介助で、入らせてもらいました。あれは、大変でしたねぇ。

みなさん本当にありがとうございました。

(まぁ、こんな3人介助で無理やり風呂入るなんて、長くて10日間くらいで、その後は訪問入浴を依頼すると思っていました。これ、数か月、この支援を継続したのですが、途中から、あれ、

おれ、いつ死ぬの?

こんな3人介助なんて、いつまでもいろんな意味で受けられないんだけど・・・って思いながらお財布の事情も・・・)

あと、モーニングケアなんか、毎朝、紡ぐ会の千葉支部長の

ひろ子さん

が、8時15分から8時45分のご自身の仕事が始まる前にきてくれて対応してくれていました。
これも、ひろ子さん的には、長くて2週間くらいを想像していたと思うんですよ・・・
土日も来てくれていたんで・・・

こんな状態で、他人様に迷惑をかけて、生かして頂いているのに、何を偉そうに、貰った愛
を返すとか言ってんだと思われそうですが・・・
いまの俺でも、返せる事が出来るのであれば、返したいと決意して、令和6年1月から、夜中ほとんど仕事をしていました。

これもまさにそうです。

この期間にいろんな文章をつくりました。

介護屋みらいと紡ぐ会のホームページの一部改変や、コラムやブログなどです。
これがまた、頭があまり働かない状態なので、何度も何度も書き直して、いままでの何倍も時間がかかって、自分が情けなく、涙を流しながらやったので、多少クオリティが低くいことをご了承ください。

最後の最後に駆け込み需要がありまして、本当に自分が出来る自分の役割を果たすことが出来たと思っています。

少しでも、みんなから頂いた愛のお返しが出来たと信じています。

それは、妻と息子が一定以上の安心が出来るための今後のプラン作りから始まり、いつも行っている焼肉屋さんの進路相談、親友の子供への熱い対面授業(説得力を増すために俺の人生を分厚くしたんじゃねぇかって思うくらいの対面授業だったなぁ)幼馴染が会社経営をこれからする事へのアドバイスなど、仕事以外の事や、急遽実施した、身内への置き土産、管理者研修の実施、介護屋みらいスタッフへの個別面談を実施したり。

(村上、ちゃんと、言い方を注意するんだぞ、お前の能力は素晴らしいから自信を持ちなさい。
でも、パワーが強いから、言い方を本当に気を付けるんだぞ、菅原さんと服部さんの言う事
をちゃんと聞くんだぞ、一ノ瀬に迷惑かけるなよ。
お前は、俺の末っ子だ。本当は俺が成長させてやりたかったけど、出来なくてごめんな。
でも、お前なら、出来るから、言い方に注意して頑張れ。)

紡ぐ会道場の企画や、紡ぐ会への介護屋みらいからの物理的な支援の強化。
中小企業家同友会と紡ぐ会のパイプの構築。
個別に繋がりそうな人材の交流の場の提供、政治と介護を紡ぐ会の新たな人材の発掘、紡ぐ会のクラファン達成のための声掛け、もし、単独居宅が維持出来ない法改正があった場合のときのための、合併先との交渉。
俺に関わった人たちが「最後に直樹が動いてくれてよかった」と思って貰えるように。
それがベッド上で出来る最後の最後の愛の恩返し。

恩着せがましいですが、いやぁ、よくこの状態で、寝ずにやったわ♡
なんなら、最後一日分くらい寿命縮めたわ。
ん。でも、これをやっているときアドレナリン出ていたから、寿命伸びたかも、縮んだ分より伸びた分の方が多いから、これまた皆さんに借りを作ってしまった。
恩なんてもんは、返しても返しても返しきれないのですねぇ。

さぁ最後だ。

人生を振り返ると、よくここまで来たものだ。
もう一度同じことをやれと言われても絶対に出来ない。
自分の人生がこれほど過酷なものになる事がわかっていたら、きっと一番楽しかった職人をずっとやっていただろう。
本来の自分、宮崎家の血は、割と暴力に、あふれていたと思います。

振り返れば、親父に馬乗りになってボコボコにされたなぁ。
空手の師範代をしたこともある弟との兄弟げんかは、壮絶にボコボコにされたなぁ。
家族で最弱なのが、俺・・・

最弱の俺でも、世間一般では弱者がやる仕事ではない職人の世界では、それなりに、恐れられていた・・・宮崎家では、最弱なのに・・・あそこ、やばかったなぁ。

なので、最弱の立場ではない職人の時は、すげぇ清々しい汗かいて、でかい声だして、本気で笑って、本気で仕事を楽しんでいたから、福祉の世界に入る事が、こんなに苦しいなら、職人を続けていたんだろうなぁ。

そして、きっと、そこで才能がまた出ちゃって、起業して、同じような苦労するけど、お国のためにとかは、無いだろうから、完全に金儲けの会社にしていたのだろうなぁ。

(これマジで、介護じゃなくて、この道で起業していたら、年商10億は楽に超えていたと思う。だって絶対に失敗すると言われた単独居宅でここまで出来たし、病気になって分かったのは、

やっぱり才能を分散していた・・・

経営にもっと目を傾けていれば、会社は大きくなったなぁって・・・

祖国のため・・・

政治のため・・・

制度の改正・・・

不条理に抗う・・・

そんな事を考えなくて、職人としてどうやって、会社の差別化を図り、利益率を高め、仕事を効率的に取っていくかを、やっていたら、職人の世界の利益率は飛躍的に上げることが出来た気がする。言い値だし。年収で 7,000 万は取れた気がする。)

そんなことをわざわざカッコ書きで記載する意味や、本当の俺は、どこにあるのだろうか。

介護現場の為と、芝居がかった人生を送り続けて、それがいつの間にか本当の自分のような姿になっている。
でも、本当の自分は、もっと自分の事だけ考えていたような気がする。

これも、多くの出会いの中で、みんなから思考の訓練を受けて来た結果なんだと思います。

思考の訓練によって、行動することが出来たんだろうなぁ、行動することによって、出会いがあったんだろうなぁ、出会いがあることによって、思考の訓練が出来たんろうなぁ、あぁこうやって、回ってたんだぁ。

単純な事をやり続けた、だけだったんだぁ。

結局のところ、俺のことは、みんなが作ったんだなぁ。

みんなによって作られたんだなぁ。
そんな俺をみんなの真ん中にいさせてくれてありがとうございました。

良質な思考の訓練が、利己的な行動から利他的な行動へ変容を持たらした。

しつこいようですが、このことについて、どちらが正しかったかは、判断できていないです。

でも、どんなに金持ちになっても、利他的な行動を取り続けた俺でなければ、この幸せな最後を迎える事が出来なかったのは、事実です。

実はおれ、劣等感の塊だった。

あたまも良くないし、喧嘩もよわい、顔面だって、日本の平均点、でも、行動をする事だけは、出来た。
結果はどうであれ。
動く事が出来た。
みなさん。
動かなきゃ、何も、始まらない。
想いも、相手に伝わらなきゃ、無いものと一緒。
最近寝る前に息子に伝えている事があるのですが、「4つの流れ」
世の中を生きていく事で、まず大切な事。

「段取り8割・実行2割」

それを具現化するために必要な事。

「自分で自分を律するしかない」

それが出来るようになるには、どんな人になるか。

「つよい漢になる。」

(ここは、補足いれると、息子は、世界一優しい心を持っています。それと、物事を辞めない・投げ出さないって事が出来ているんです。だから、あとは、つよさがあれば、最強って伝えています。)

最強になって、どんな役割を持った大人になるか。

「与える人になる。」

これを、毎日、話しています。

そして、その日のテーマを決めて、深堀していくのです。

たとえば、「与える人」がこの日のテーマであれば、それはどのような人で「与える」って自分のステージによって与えられるものが違うよねぇ。とか。丁寧に話しをします。

なんだかんだで、15年以上、取締役や代表取締役として、世の中の社長たちと接してきました。

沢山の意見交換をした結果ですが、労働者から搾取する経営者、少なくはない人数を見てきました。

3流の搾取社長の特徴

3流なので特徴なんてもんはすでに無くて、従業員が、自分の社長を搾取型と気付いていながら働いている状態です。
だから、定着率も悪い状態が続ているのと、職員の質も正直、関わりたくないレベルの方々によって構成されている事が多々あります。
しかも、社長自体が自分の事をきちんと理解してない方が多かった・・・

そこから、たまぁにいる原石の従業員を独立させるのは、全く罪悪感が無く支援出来たなぁと振り返る事があります。

2流の搾取社長の特徴

次に、2流の搾取社長はどんな特徴があるかというと、言っている事とやっている事の整合性が取れない。
(これマジで不思議なんですが、職員はその整合性が取れない事に気づけない)
整合性は全く取れていないにも関わらず、職員には、なんだか、立派なビジョンを力強く見せる。
自分たちは理想を求める途中だから、具現化したらみんなで良い思いをしようと薄給で雇用して、経営陣だけは、先に美味しい思いをしている。

自分もこう言う会社で勤めていたなぁ・・・

てか思い起こせば、そういう社長以外に雇われた事ないなぁ・・・

あれ、角が立ちまくるかなぁ・・・

だから、おれ、あいつのこと許せないんだろうなぁ・・・

1流の搾取社長の特徴

最後に一流の搾取社長は、与える振りをして、結局なにも与えて無いんだけど職員が、満足しているという神業を持っている人にもあったなぁ。
これは、凄かった。
コストかけずに、与えている感半端なくて、実は、わからないように搾取している・・・
搾取の仕方も、賃金ではなくて、時間を搾取する。
時間と言っても、残業とかそんな小さい話じゃない。人生の時間の搾取をする。
天才だと思った。個人名をあげたい♡これは、逆に天才だからあげていいと思う・・・
あげられないけど・・・

さて、ではおれ自身は「与える人か」「搾取する人か」はっきりといいます。
本質は搾取する人間だと思います。

ただ、世の中や職員からは

「宮﨑さんは、究極の与える人ですよねぇ。役割りやお給料など、考えられないくらい与えてきましたね。」

的な・・・評価を多く受けます。

だってぇぇぇ与えないと人が集まって来ないから、自分みたいな平均点以下の人間に・・・
だから、与える人の振りをすることが自分の1番にやらなきゃいけない仕事だと、必死に演じただけです。
これが、ケアマネ業界が買い手市場だったら、今と同じ発想になってはいない。
100%搾取しまくりだったでしょうよぉ。
うそっこの自分がバレない様に、バレたら人が離れていく。人が離れていったら、新しく採用した職員には、嘘の自分を信じて貰えるように嘘の自分を演じる。あぁ・・・苦しかった♡
だって、「社長、ちょっとお話が・・・」って言われるたびに

ドキぃぃぃ

って、あれは本当に自分にとっては、苦しい一言です。
だから、そんなことを言われないように、与える人を演じただけ・・・
最後の最後まで、騙し続けたんだなぁって思っています。
しかし♡敢えて繰り返します♡
最後の最後まで騙し続けれたって事は、俺の勝ってことだし、誰も損してないから
みんなハッピーって事でよかったかしらぁ♡

わかります?おれが言いたい事♡

みなさんが称賛してくださるこの人間力的なものは、嘘で固められた俺の演出です。

しかし、それがバレる事なく、みんなを置いて去っていくわけですから、みんなには、ただ
ただ、「与えた」という事実が残る。
これは、別に誰か損したわけでもないですよねぇ♡

例えば、俺に騙されたおかげで、数名の方々は、年収 1,000 万円を超えました。これは、議員になったり、起業したりです。
そこまで、なっていなくても、業務のやり方を変更して、身軽になったという方から、多くのメッセージを頂きます。

嘘で固められた見せかけの人間力から放たれる嘘の与えるパワーによってです。

みんなこれでハッピーならいいじゃないっスかぁ。

俺も俺でわざわざ言う必要がないことも理解しているのですが、言いたいんです。

「こんな不寛容な時代だからこそ。」

この国の人々はどこかで間違ってしまったと思います。
基本的に無関心な癖に、不寛容です。
「この国のみらいが」国民の他責によって、衰退していくことも理解していると思います。
分かっていて、何を悟ったのかは俺にはわかりませんが、「この国のみらいを」他人事にしてしまっていると思います。

多様性を訴えている方々が多様性を認めず、自分たちの主張を弱者の暴力を使って振りかざしている時代だからこそ。
敢えて言いたい。

今日、俺は死にました。

偽りの人生を精一杯生きてきました。
最後の最後くらい。
言いたいことを言って、誰にも何も気を遣わずにわがままを通したい。
まず。
みなさん。
ありがとうございました。

言いたい事を思いついたときに初めに出てきたのが感謝です。
本当にありがとうございました。

特にママ。

本当にありがとうございました。

令和 6 年 2 月 20 日の深夜にこの期に及んで、離婚するかぁってなくらいの俺の一方的なス
トレスのはけ口のような醜態がありました。
心がコントロール出来なかったとはいえ、あれは、無い。
反省しても反省しても、取り返しの付かない言葉を吐いたのに、捨てないで最後まで寄り添
ってくれてありがとうございました。
とにかく言いたい事は、感謝です。

次に、わがままの話に移行します。

わがままを通したいことがひとつだけ。
介護屋みらいの仲間たちへ、俺の最後のえこひいきを許してほしい。
つぐみ・きょうこ・一ノ瀬・あい・大橋・村上、この子達が定年を迎えられるような会社になることを目指してほしい。

3 年に1回の介護保険法改正や、年々膨れ上がる社会保障費により、会社継続は至難の業だと思います。
この子達が定年を迎えるという事は、いまから約 30 年間の会社存続って事になると思います。
前述した通り、法改正やら、世界情勢やら、再度のパンデミックの可能性やら、先が見えない事は重々承知ですが、俺は、この子達に約束したんです。

介護屋みらいは、終身雇用を目指している。こんな時代でも。って。
だから、俺がしちゃった約束なんとか、みんなで守ってください。
そうすれば、俺が採用した俺の責任において人生を預かった子達へのきちんと恩返しが出来ると思っています。この子達より年下の子もこれから入社されると思います。
30 年間も事業が継続できるように日々、経営陣と管理部が知恵と工夫によって会社経営が来たとしたら。
どの世代に対しても、介護屋みらいが終身雇用を目指せる会社だったとしたら、一緒に働く仲間たちはどれほど、安心して相談援助業務が出来ることか。

本当はもっと、自分勝手な願いとか、わがままとかだと、あると思うんだけど、それを思い浮かべると、非現実的なものしか思い浮かばないから、たいして言いたい事やわがままな事って別に無いんですよぉ。

おれが、最初に憧れたくるみ

介護サービスの中山さんのように、「与える人」に成れたのは、みなさんのおかげです。

俺、嘘っこではなくて、本当に与える人になれたと思っているんです。
さっきまでは、俺の人生は、ごちゃごちゃと搾取する人間でそれが本質だと書いてましたが、
いまは、きっと本質ごと変えて頂けたと思っています。
だって、この期に及んでまで、最後、俺が出来ることはないか、与えられることはないか。
行動しています。それが自分の喜びであることも知りました。だから、嘘偽りなく今の自分は、たとえ介護屋みらいが買い手市場になったとしても、出来る範囲で「与える人」の思考回路を持って物事を作り上げていく自信があります。

「与える人」の思考回路は、俺から、みんなに引き継がれて行くと思うのですが、仲間を信
じます。これ、会社の全体会議で何度か言いました。

「女の職場にならないように」
女性の敵は女性と言われます。女性が働きやすいように、環境を整えるとそのメリットを享
受出来なかった女性から、苦情が入ります。

自分は何一つ自分が受けられないメリットを他者が受けることに関して、デメリットだと感じてしまう。悲しい思考回路。でも、実際ある。
実際にあった。男性陣からは、そういった意見は全く出たことは無いです。やはり、女性からあった。
女性が働きやすい職場を、女性のみなさんで作り上げていってくださいね。
出来ると信じています。
最低限、俺が信じた仲間が、定年退職を迎えられる日が来るように、それによって誰かが犠牲になったとしても、だんちゃんを中心に生き抜いてほしい。

ママを中心に。

土屋は、容量悪いけど、あと数年で 20 年くらい一緒に働いたから、いまさら他所じゃ働けないよぉ・・・捨てないであげて・・・

あいちゃんは、身体も弱いしママの友達だから、頼むよぉ。

つぐみは、捨てて大丈夫。あれは、一人で十分生きていける。

いま、一人一人の思い出を振り返ってみていました。

なんだろう。あんだけ、苦しかったから、一秒も過去には戻りたくないって思っていたけど、
いま残っている仲間との思い出を振り返ると、過去に戻りたいって急に思ってきた。
過去に戻ってがんが転移する前に治療したかったなぁ。
また、毎日、仕事で苦しい思いをすると思うけど、それでも、みんなが支えてくれたし、あの時に感じなかった感情を持ってみんなの優しさを感じられたら、もっと幸せになれたんだろうな。
家族のことも、もっともっと大切に出来ていたんだろうなぁ。

あぁ

今日死んだかぁ

どんな気持ちで最後死んだんだろう。
希望は叶ったかなぁ。
夜中に死んで、朝、ママが発見して往診医に連絡してとかは、嫌なの。
日中に、ママとうちのスタッフがいて、ママ一人じゃないなかでの俺の旅立ちなら、心の負
担軽減は出来たかしら。
往診医に連絡できたかしら?
このブログをすぐにアップするように、つぐみちゃんに連絡できたかしら?
いやぁ。不思議。
その時、おれ、死んでんだもんねぇ。
いやぁ。最後ちゃんとありがとうって言えかなぁ。

言えてなかったらのために

まま、りつ、本当にありがとう。

おとを支えてくれてありがとう。

夫として父親として役割りを果せたとはとても言えないことは分かっているけど、敢えてお詫びはしません。

そんな、おとを支えてくれてありがとう。

りつ、これからは、りつがママを支えるんだから、強い漢になってな。

日本都市の大原さんのところで強さを身に着けるためのバイトは本当にやるんだよ。

中 3 の最後の春休みと高校 3 年間週 1 回、職人さんと過ごす時間はりつを強い漢に成長させるから。

それと、武術をやるんだよ。

そして、心と身体を強くしてね。

まま、会社の事をたのんだよ。

おれの代わりにみんなの人生を豊かなものになるよにだんちゃんと一緒に考えていってね。

そして、りつの事も頼んだよ。

でも、いつも言っているけど、女性は、マザコン嫌いなくせいに、マザコンを作り上げる意味不明な行為をしますが、2 人になったら共依存とかしないように、適切な距離感を持って生活してくださいね。

最後の最後にこんな長文、言えるわけないか。

それと、確率論で言えば、土屋か大橋が、ママと一緒に看取ると思うんだけど、2 人にも書いとくかぁ。

まず土屋バージョン

土屋、それはそれは本当に長い事、まだ、土屋は 20 代後半で、おれが、ギリ 29 歳とかだったかな?なので、20 年弱、デイサービスのパートから有料老人ホームの相談員に、「顔面」採用にて抜擢させてから、本当に成長したなぁ。はじめは、本当にびっくりするくらい意識の低い子だったから、失敗したと何度も思ったよ。

でも、いろいろとあって、有料老人ホーム紹介所を立ち上げて、それが 1 年で潰れちゃった事に対して、俺が悪いのに、ずいぶんと自分の性にしてたなぁ。
そこから、お前の目覚ましい成長があったなぁ。やっぱりあのときに思ったよ、人は痛みでしか本当の成長は無いってさぁ。あの時の痛みは土屋にとって強烈だったんだもんなぁ。
でも、いまは、介護屋宮﨑の取締役として、立派に働いている。自信を持ちなさい。
あのころとは違うんだから。学歴をいじられることに誇りを持ちなさい。
多分、同級生のなかでも、本当に一握りの一つまみの出世をしたんだから、誇りをもちなさい。
これからも、その成長した力を介護屋みらいのことも自分の子供だと思って支えてください。
実際にこの会社作ったのは、おれとお前ともう一人の 3 人で作ってるんだから、お前は会社の生みの親なんだからな。頼んだよ。


こんな長文はやはり、間際に言えなかっただろうなぁ。

大橋バージョン

おおはし、最初にあったときの面接でしっかりと、泣かせるまで詰めた事、はっきり言って後悔してないんだぁ。あれは、必要だったと思っています。
だって、結婚してすぐに、子ども 2 人出産して、その後、10 数年、扶養の範囲内で、働いて、介護だって、施設でパートでヘルパーとして働いていた人が、急に在宅で、しかも正社員で、ケアマネなんて、絶対に出来るわけ無いし、家庭が壊れると可能性があるって思ったから、条件をつけた。

1 年間、9 時から 15 時までの労働時間で、15 時になったら、仕事の途中でも帰れ、給料は月に 20 万円それで、1 年間続けることが出来たら、1 年後どうするか考えよう。

って。だから、旦那さんと相談してもう一度結論だして来いって言ったら、泣きながら、それでいいです。って働きたいです。って。

あれ、悔しかったんだろ。

本当はフルで働きたいのに、働かせてもらえないことに、不条理を感じて悔しかったんだろう。
でもな、世の中は不条理で出来ているからな。
おれは、家庭が一番であって欲しかった。
経営者になりたいわけじゃないだろうし、今まで、扶養の範囲内だったことを考えると、急に金が必要になったわけでもないだろうし。
だから、ゆっくりとさ、ケアマネの業務を覚えるんじゃなくて、社会復帰してほしいと思ったから、強めに話をしたの。
でも、そんな大橋に最後、宮崎家が助けて貰うことになるとはなぁ。

お前がいてくれてよかった。神様が最後の最後に頑張ってきた宮崎家にくれたプレゼントだと思っています。息子も救われたと思う。ママも救われたと思う。
なにより、俺も救われた。物理的に、ママ一人では、体格差があって俺の介助は出来なかったのをフォローしてくれたり、精神的にもいろんな話しして気分を紛らわせてくれてくれてたな。
なんか、親族みたいな感じになったな。

だから、ときおり、あいちゃんとおおはしとママで旅行にでも行って日々の疲れを癒してください。
そして、大橋は、介護屋みらいをもっともっと有名にするために服部さんと一緒に日本中を駆け巡ってください。3 年後は立候補して、やっぱり、介護屋みらいは、凄いなぁって思って貰える事業所になるようにしてくだい。
それが、また、いい人材を呼んで、より力強い組織になるんです。頼んだよ。

これも、長文すぎて、言えなかっただろうなぁ。

つぐみちゃんなら、言えそうな気がする。

ついでに、つぐみちゃんバージョン。

つぐみちゃん、みんなに迷惑かけているんだから、みんなに日々感謝を忘れないように。

ちゃんと気持ちとして手土産を町田の義理の母親父親に持っていくように、本当の義理のご両親にも、感謝の気持ちは日々伝えるように。

あきらにも、感謝を忘れないように。
夫婦喧嘩しても、たぶん、どっちも折れなさそうだから、つぐみが年下なんだから、可愛くごめんちゃいってすれば、殆どの事は解決するよ。

つぐみのご両親や姉妹たちにも日々感謝するんだぞ。
お前は、人に迷惑しか、かけないんだから、感謝を伝えること。
お前の最大の武器は、それで、許される不思議な能力がある。
きっと太陽のような笑顔がそうさせるんだと思う。
つぐみちゃん、みんなお前の事が好きだと思う。
愛して貰うだけじゃなくて、もう少し立派になったら、与える人になりなさいね。

これも言えないか。

長いんだなおれ。

ひとこと

「愛してるよ。また、会いに行くよ。」

くらいしか言えないかもなぁ。
ではでは、さぁ。みんな。泣いてる場合じゃない。
業務連絡を淡々とこなすことが出来たかしら。
俺の希望は、悲しみが起こる間もなく、やらなきゃいけない業務で日々追われて、葬儀が終わったくらいには、なんだか、悲しみが半減していました。ってなってほしい。
それがおれの望む希望です。

これさぁ。
名前出さないと、ふてくさる人がいそうなのが、怖いのよぉ。

あえていいますよぉ。
なんだか、土屋とかの書いちゃったもんだから、え、なんで土屋はわかるけど、つぐみより
が出てきて大橋・村上なんて超新参じゃぁんって。
きりがないんですよぉ。
だから、だんちゃんへのコメントをあえて書かなったりと、いやぁ。
いちばんうるさそうな人書いとくかぁ
葬儀でもマイク持ちたいんだろうけどなぁ。


マイクは

うちの親父

も持ちたいんだろうなぁ。

でも、すき間がないよぉ。
目立ちたい人多いなぁ。

そういった意味じゃぁ、

俺の大好きな後輩の渡部・林は

こういう時ちゃんと我慢できるよなぁ。
それに

世界一尊敬しているつぼうちさんも

大人だから、もちろん我慢できるなぁ。

そういえば紡ぐ会で我慢できないのは

岡崎市議の前田さんだな

自分の名前が出なかったら、絶対に許さないもんなぁ。
あなたは、俺と太田さんが最初に見つけたダイアモンドの原石でしたねぇ。
前田さんは、もう充分に輝いていると思っているかもしれませんが、俺も太田さんも、もっともっと輝けると信じています。
あなたの輝が紡ぐ会には必要です。これからも、美しくそして、少しまわりをピりつかせながら、緊張感をお届けしてください。
親父は、前田さんの前に自分の名前が出たのにコメント無いのかって思ってそうだし

そうだ、まっこちゃん

母親のことです。
あんだけ、おれと、仲が悪かったけど、最後は毎日、掃除してくれたり、背中さすってくれたり、ごはん作って持ってきてくれたり本当にありがとうございました。
最後、仲直り出来たのは、何気に人生でもっとも価値があったかも。

たかし

とも、これ、弟のことです。仲直りできたのは、よかった。

親父

はねぇ。自分が主役になりたい人なの。だから、俺もその血を継いでるから、人前に立ちたいの。
つぐみちゃん。
今回は合同葬だからさ、急遽な葬儀になるわけじゃない。だから、来賓のあいさつで来れない人もいると思うの、そんで、時間が空いたら、3 分だけ、親父にマイク持たせてやって。
人前に立ちたいのよぉ。親父はさぁ。順番は、最後にままとりつが挨拶するから、その前で。
あぁ、我慢が出来ない 1 番うるさい人どうしようかなぁ。司会させるわけには、いかないもんなぁ。
司会かぁ、これ、どうしよう。添えちゃんかなぁ。

今回は、社葬のなかの合同葬にしたんです。

一般的に社葬にすると、まず、家族だけで、密葬をします。そして、後日、1 ヶ月後くらいに社葬として、お別れ会みたいな感じで、日程調整して、実施するのですが、合同葬だと、イメージしやすいのは、普通の葬儀を家族と会社で同時にやるって感じです。

てか、もし、宮崎家が葬儀するってなると、唯の葬儀でも、合同葬でも、社葬でも、ちょっと、参列者さんの人数が読めないので、合同葬か社葬かってことになるわけですよ。
自分としては、本当に密葬が 1 番と考えていたのですが、密葬だと、最後お別れしたいと思って頂いた方々が自宅や会社に行っていいか悩んだり、伝えたいことも伝えられなかったり、やっぱり葬儀はやるべきだと、思い直したんです。
まず、初めに葬儀の事を言ってきたのが

幼馴染の大島

です。それから、いろんな人に言われました。

介護屋宮﨑の顧問でお願いしている

永須さん

から、すげぇフランクな感じで

「最期のお別れをしたいと思う人は、密葬ではなく、葬儀をしてほしいと思っていると思います。(私もね。)」

このね、(私もね。)はねぇ。なんか、顧問ってより、仲間としてって感じでねぇ。
永須さんとは、俺が大好きな中小企業家同友会で知り合って、顧問をお願いしているので、
仲間なんです。仲間から、言われたらなぁ。
これだけ、いろんな方がやった方がいいって言ってくださって自分だけ、頑なに拒否してい
るって、しかも。
ママは、葬儀は大変だけど、区切りだからやりたいんですって。

最後まで、とりとめがなく、まとまりがなくなってしまいましたが、これにて、終了のお時間です。
今まで俺の人生を支えてくださってありがとうございました。